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スモカの巣/スモカ様




色いろは/甘夏様




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そして二人はここから始まる




 そして二人は夏の終わりに、永久の別れと相成りました。


 そうはバロン夫妻が卸さなかった。
 幻界とミストを行き来するリディアを目敏く捉え、やれ何々の記念式典だ、やれ誰々の誕生日だなんだで呼び出した。

 それは交流深い仲間も同じことで、セオドアが初めて喋った七周年記念日(セオドアは不在だし参加者は主催を除き三人だ)とかいう日には、さすがのギルバートも疲れた顔を隠せなかった。基本的にギルバートは人が好い。
 陛下夫妻ともなると何かに託けねば旧知の友に会う機会もなかなかないのだなあと思うと、リディアはふたりの親友として是が非でも出なければという使命感に駆られる。リディアは皆と会えるのが純粋に楽しかったし、呼ばれる人間の中では大分暇であった。

 集まる面々はその時々で違えど、リディアはエッジがこれまで来たのが三回だと覚えている。二度と会わないと言っておきながら、三回も!
 久々に会ったエッジはいかにも普通だった。「よっ」なんて軽く声を掛けて、いつものようにさり気なく料理を取り分けてくれたり、人波にぶつからぬようにリディアを上手く連れて城下を歩いた。
あの夏の終わりは夢だったのかもしれないなあ、とリディアも思い始めるくらいには、エッジは普通だった。

 ローザとセシルが、エッジとリディアの事に気を揉んでいるのは分かったが、二人にはあの夏から幻界にいることの増えたリディアを、人間界に留めておきたい気持ちがあることも知っていた。おかげで私は帰るところがあると、私は人間だと胸を張って言えるのだ。
 二人には、本当に感謝している。



 それからまた随分と時が経った。
 エッジと会うのは両手の指では足りなくなった。それどころの騒ぎではないのだが、またみんなと一緒に月まで行ってきたのだから。
 それからリディアにはクオレという娘が出来た。このクオレとエッジは妙に馬が合う。クオレに会うのだと意気込んでエッジはまたミストへと足を運ぶようになった。

「海が見てみたい!」

 絵本から勢い良く顔を上げたクオレの言葉に、エッジの目元が一瞬引き攣った。あの日から何年も経って、いつだって普通だったエッジの、初めて見る揺らぎだった。それを見ながらリディアは、ああ、あの日のことは夢じゃなかったんだなあと思う。

「海なら飛空挺から見たことあるでしょう? あの青いのが海だよ」
「分かっている、けど! あれとは違う」

 興奮したようなクオレを宥めすかすが、誰に似たのかクオレは好奇心旺盛だ。多分二人ともに似た。
エッジは立ち上がると、ひょいとクオレを担ぎ上げ、肩車した。

「知ってるか、海はこの地上の七割を占めているんだ」
「それは凄く大きいのか」
「クオレの両手にはとても収まりきらない。俺だって無理かもなあ」

 感嘆の声を上げるクオレだが、リディアは日の傾きに気を揉んだ。

「もう遅いわよ、エッジ」
「ええーっ」
「ちょっとだけちょっとだけ」

 エッジはクオレを片腕でしっかりと押さえたまま、もう片方の手でリディアの手を掴む。

「俺たちには足があるんだ、クオレ。……今日は飛空挺だけど。えーっと、どこへだって行けるのさ」

 クオレを揺らし過ぎないよう、さりとて早足でエッジは飛空挺へと向かった。エッジは、あの日をやり直したいのかもしれない。
 どこへだって行ける、か。
どこにも行けなくなったのはエッジじゃないの。
 別れの日から消えることなく、リディアの体の中いっぱいに膨れ上がった恋は、ここに来てどうやら限界を迎えたらしい。満ちて弾けて、とうとう目から溢れ出した。震える呼吸と汗ばむ指にエッジが気付かぬはずもない。黙ってくれているエッジに感謝して、しとどに濡れた頬を乱暴に拭った。
 飛空挺に乗り込む前に、リディアはエッジから竹筒を借りて小川の水を注いだ。こうしておくと後が楽だとあの時覚えた。ついでに目元も冷やす。

 クオレは甲板から景色を眺めてはいろいろとエッジに問いかける。飛空挺に乗せたことは初めてではないが、陽が落ち紅く染まった世界はまた違った顔をしていた。リディアとてあまり見ないものだから圧倒されてほうと息を吐いた。

 着いたのはやはりエブラーナだった。まだ陽は落ち切っておらず、海と空の境目はぐずぐずに溶けて揺らめいている。言葉に出来ないくらい美しかった。
 時間はそんなにないぜ、と焦ってエッジはクオレをまた肩車して、波打ち際まで走った。
 リディアは岩場に腰掛けて二人を眺めていた。目を閉じるとざざん、という大きな音の中にぱしゃぱしゃと小さな音と楽しげな声が聞こえる。幸せの輪郭がそのまま見えた気がした。誰もが人生全てを掛けて探すものは、こんな風に形あるものだったのかもしれない。
 涙が溢れては砂に吸い込まれていった。

 戻ってきたエッジは眠ってしまったクオレを横抱きにしていた。砂浜を見ると、作りかけた砂の城が、夕暮れの満ち潮に絡め取られていく。起きたらがっかりするだろうか。
 眠ったままのクオレの足を持ってきた水で洗う。気温に馴染んだ生温い水は、クオレを目覚めさせることはなかった。元通りに靴を履かせてから、リディアは竹筒の蓋を閉め直した。ふたりの間には言葉もなく波の音だけが流れる。宵闇が迫っている。

「今日は遅いから泊まっていけ」
「うん」

 エッジの言葉に短く返してから、リディアは頭をエッジの肩に預けた。エッジが一瞬びくりと震えたのがなんだかおかしかった。触れたところからじんわりと馴染んだ体温が広がっていく。やっぱり私は、馬鹿みたいにただひたすらに彼が好きだった。
 クオレが起きぬよう気遣いながら、エッジはリディアの顔を覗き込んだ。
 唇が触れ合う直前に見たエッジの顔は、夏の夕陽のように揺らめいていた。









そして二人は夏の終わりに




「海が見たいなあ」

 何気ない会話の中に、ぽつりと落ちた言葉を拾い上げたエッジは、直ぐさまリディアの手を掴んで駆け出した。

「見れるだろう、何せこの星は海に囲まれている!」

 七割だったかな? 走りながら言うエッジの声は風に流れ、耳元で囁かれたように近く響く。リディアは口元に笑みを形取ってから、見えないのだからいいかとすぐに止めた。
 エッジには簡単なことでも、私にはひどくむつかしい。




 抵抗しようという訳でもないが、彼女の都合を確認もせず、エッジはさっさとリディアを連れて飛空挺に乗り込みその機体を浮かび上がらせた。しばらくすると遠くに青がちらちらと見える。

「海だ」
「もういいのか?」
「ううん、ちょっと違う」
「だろうな」

 リディアは甲板に備え付けられた木のベンチに腰を下ろした。右斜め後方ではエッジが操縦桿を握っている。それ以外に特に会話もなかったが、無言の空気が重くなる間柄でもなかった。
 リディアは黙って遥か地上の海を眺めた。

海は怖い。私を飲み込み、仲間を散り散りばらばらにしてしまったから。
海は怖くない。リヴァイアサンが守ってくれているから。

 大人になっても、子供の頃の衝撃は大きいままに残っている。
 今となっては事情をすっかり把握していても、飲み込まれる圧倒的な水の恐怖という純粋な体験は、なんとなくリディアを深く大きな水から遠ざけていた。

 その内リディアは少し眠ってしまったらしい。





「着いたね」
「着いたな」

 飛空挺が降り立ったのは大方予想通りにエブラーナだった。この国は四方八方を海に囲まれた島国だ。もちろんミスト擁するバロンにだって海はある。が、わざわざここまで来なくてもなどと無粋なことは口に出さない。

 ごつごつとした岩場に差し掛かって、エッジはリディアの手を取った。いつだってエッジの手は大きく暖かかったけど、触れるのに理由が必要になったのはいつ頃だったっけ。
 塩をたっぷりと含んだ風が髪を撫で付ける。後でしっかり洗わないと、リディアの髪はすぐべたべたになって絡まってしまうのだ。ちょっとエッジの短髪が羨ましくなった。岩場を抜けて砂浜に出ると、リディアはするりとエッジの手を抜けて走り出した。

 ぱしゃんと蹴るように波打ち際に突っ込んで、リディアは素直に笑んだ。

「冷たい!」
「ちゃんと裾を持て」

 冷たさで言ったら山あいを流れる地元の川の水の方が冷たい。それでもリディアはこちらが良いと思った。ミストを流れるあの水も巡り巡って混じり合い、いつかここに辿り着くのだろうか。そう思うと水ですら妬ましい。

 一通りはしゃぐと、リディアはエッジの待つ岩場へ戻った。エッジは竹筒を取り出すと、リディアの膝下からさらさらと流し、丁寧に足の砂を落とした。その後手拭いで水分を拭われる。足の指の間までエッジの手が差し掛かると、リディアはくすぐったくなって笑い転げた。

「パンツ見えるぞ」
「あははっ……み、見ないでよ! ふふ、あはは……!」
「見えた」

 顎を蹴られたエッジは仕上げにきちんとサンダルを履かせた。
 並んで座り海を見やると、太陽が水平線とくっついてとろりと溶け混じっている。頃合いがミストの日没とそんなに変わらないな、と思い夏の終わりを感じた。


 帰りの飛空挺でリディアはまた寝入ってしまった。寝入り端に見た、「良く寝るなあ」という呆れ声と、被せられた薄手の布と、柔らかく唇を塞いだ感触は、今となっては夢だったとリディアは思っている。



「今日はありがとう、エッジ」
「どういたしまして。たまには遠出もいいだろ」

 リディアはエッジに握手を求めて手を差し出した。程なくそっと握られる。

「私、今日のこときっと忘れないわ。そのくらい楽しかった。さようなら、エッジ。もうエッジには二度と会わない」









斜めうしろ45度




 リディア達が幻獣を追って辿り着いた磁力の洞窟には、パロム、レオノーラ、そして操られたシヴァがいた。
 トロイアの少女、レオノーラとの出会いだった。



「あの、リ、リディア様……」
「レオノーラ。体調はどう?」

 船室から外を眺めていたリディアに、レオノーラがおずおずと声を掛けた。見紛えば怯えているようにすら思えるが、どうやら常からこの調子らしい。

「だ、大丈夫です! 何だか大事になってしまって、驚いていますが……」
「そうね。……みんな無事だといいんだけど」

 憂うリディアの横顔を見つめ、レオノーラが神妙な面持ちで頷いた。重くなった空気を切り換えるようにリディアがそうそう、と手を合わせた。

「レオノーラは、トロイアの神官さんなんだよね?」
「今はまだ見習いですが、きっとなりたいと思っています」

 自信なさげな物言いに反して、レオノーラの瞳は真剣だった。リディアはそっと口角を上げる。

「うん、その心意気!」
「ありがとうございます! ……あの、リディア様のお話は、パロムから聞いていました。リディア様は召喚士でありながら高名な黒魔法の使い手だって」

 神官になる修行の一環で黒魔法をパロムから教えてもらっているのだ、とレオノーラは付け足した。

「高名なんて初めて言われたわ。パロムの方が凄いと思うけどなあ」
「いいえ! 口をこーんなにひん曲げてたので、絶対本当です!」

 レオノーラはいーっと口端を下に引っ張った。身を呈した物真似だ。パロムが見ていたらレオノーラは今頃、刺されんばかりの冷気に包まれていたに違いない。
 さすがにリディアは声をあげて笑った。

「じゃあパロムの優しさに甘えて認めましょう! ああ、私の事はリディアでいいのよ?」

 涙すら浮かんできた目元を拭いながら、リディアが言った。リディア様なんて呼ぶ人は周りにいないのだから何ともむず痒い。これがエッジやギルバートなら慣れているだろうけれど。
 レオノーラは慌ててぶんぶんと両手を振ってみせた。

「そそそそんな! 出来ません! 私みたいな若輩者が……!」
「でもパロムのことは呼び捨てなのに」

 軽く口を尖らせたリディアは、レオノーラの想像していた黒魔導士リディアとは少し違っていた。
 レオノーラはパロムのせいか理知的で切れ者――そう、黒魔法に例えるのならブリザラ――という少々偏った黒魔道士のイメージを持っていた。拗ねたようなリディアの表情は少女のようにすら見える。肩の力が幾分か抜けた。

「パロムは一応年下ですし……えっと、呼び捨てにしないと凄く不機嫌になるので仕方なくなんです……」
「あ、そうなんだ。レオノーラはいくつなの?」
「パロムの二つ上です」

 途端にリディアの動きが止まった。きょとんと瞬きを繰り返すリディアに、おろおろとレオノーラが声を掛けようとした時。

「リディアー。見張り交代の時間だぞ」

 エッジがひょこりと顔を覗かせた。レオノーラを目に留めて、片手を挙げる。
 レオノーラからしてみれば見知らぬ遠い国を統べる国王陛下だというのだから、より一層恐縮して縮こまった。何だろう、この船には有名人しか乗れないのだろうか。

「すみません! 私がリディア様とお話したいばかりに引き留めてしまって……!」
「いや? 別に構わないけど。代わるかリディア」
「あ、行くよ! ちょっと待って」

 エッジの声に反応してリディアが腰を浮かせた。レオノーラに振り返ってやわらかく微笑む。

「ごめんね、見張り当番だから行ってくるね! 黒魔法のお話はまたしよう。今はゆっくり休んで」
「は、はい! お時間とってしまってすみませんでした……!」

 レオノーラは遠ざかる二人を律儀に見送って、自分に割り当てられた船室へと向かった。あの時、リディア様は何に反応したのだろう。パロムなら何か分かるだろうか。




「……で? どーしたのリディアちゃん」
「え?」

 リディアが首を傾げて何のこと? と付け足すとエッジの顔が僅かに歪んだ。

「えー。なんか凄いそわそわしてるっていうか、どう見ても変だぞお前。やっぱ休む?」
「どうして分かっちゃうの」
「ほれ見ろ」

 リディアの滑らかな額をぐりぐりと突っついてやると、むくれて額を押さえ、話し出した。

「私ね、本当ならレオノーラと同い年だったの。驚いちゃって、一瞬動けなかった。今まで気にしたことなかったし、自分でも不思議なの。
悲しいっていう訳じゃないの、本当に。なんて言うのかな? こういうの……」

 リディアの言葉は流石に予想外だったに違いない。エッジの歩みはのろのろと遅くなり、しばらく歩いてから組んだ両腕を解いてリディアに差し出した。

「……言葉に出来ない事の方が世の中多いと思うけど、悲しいとか切ないは近いんじゃないか。なにかを置いてきたような気がするっていうか」
「置いてきた?」

 素直にリディアが取った指先を絡め返して、エッジはまた歩き出した。

「うーんと、本当ならあの辺……パロムとかと年も近くてとかさ、でもそれならセシルやローザ達ともまた違った関係になってたかもとか。
何かしらの選択のあと、あの時違う選択をしていたらどうなってたかなって思うことは往々ある」
「…………」
「こういうのはどっちも間違いじゃない時が難しいよな」
「……エッジ、やっぱり凄いかも」

 リディアの頬はみるみる紅潮した。エッジを見つめてこくこくと頷く。エッジの答えは思っていた以上にリディアの胸にすとんと落ちた。もしかしたらずばり言い当てられている。
 特別なことじゃなく、垣間見えた選ばなかった道の先が気になるという、誰にでもあるそれだけの事だったのかもしれない。

「しかしまあ何よりも、間違いだったなんて言われたら」
「……言われたら?」
「俺が困ります」

 意地悪そうに笑うエッジの逆の手が、リディアの頬に触れた。先ほどまでとは違う意図を持って、指先が唇を掠める。

「ちょっと! こんなところで!」
「ここじゃなかったらいいんですか」
「そういうことじゃなくて! 見張りなんだから早く行かなきゃいけないでしょ!」

 あっさりと手を離したリディアはつんと顔を背けて、逃げるように走り出した。手を離したところでどうせ同じところへ向かうのだ。エッジはくつくつと笑うと、その背中に投げかけた。

「通路は走らない!」








よすが



「具合はもういいの?」

 ――あの後。
 まさしくバブイルの塔から降ってきた五人にリディア達は盛大に驚かされた。リディアは急いでファルコンの船室に全員を突っ込み、手当てに駆け回ることとなった。
 中でも治癒術の使えたイザヨイという女性と、ツキノワという少年は己の傷も顧みず彼らの主の治療に当たり、先ほどからはこんこんと眠りに入っている。

 一足早く起き上がって来たエッジを振り向きざまに窘める。

「まだ、寝てなきゃ」
「大丈夫だ。お前とあいつらのお陰だ」

 エッジは甲板の柱に身を凭れかけたリディアの隣に、するりと体を滑り込ませた。

「……エッジの傷が一番酷かったわ。みんなを庇ったんでしょう」
「俺がのろまだったからやられただけです」
「……もう」

 リディアがぐにっ、エッジの頬を抓る。痛い痛い、笑いながらエッジはその手を取って指を絡めた。

「……リディア、会いたかった」
「無事で良かった、エッジ……」

 リディアが潤む瞳をゆるりと細めた。二人の顔は近づいて、やがて――

「ちょっと!!いますよー! ここに人いますー! あとあんたら先々週も会ってるでしょーが!!」

 ルカの大声でファルコンが揺れた。リディアが凄まじい勢いでエッジを突き飛ばし、

「……私もいるぞ」
「だからおめーは誰だよ!」

 黒衣を纏った厳めしい男がぼそり呟いた。だから一体誰、誰なの。不審を隠そうともせず、エッジの眉は盛大に寄った。

「気を取り直して、ねえお兄さん。次はどうしたらいいんだろう?」
「ってホイホイ聞くなよ! 信用していいのかこいつ」

 黒衣の男がちらりとエッジに視線を寄越す。やや間があってから、男は低く呟いた。

「……繰り返されているのだろう」
「……!」

 一瞬で強張ったエッジの表情を見て、リディアとルカは男を振り返った。男は蒼い瞳をそっと伏せる。

「……バロンへ、セシルの元へ向かう」





 エッジは操縦に付きっ切りのルカに交代を申し出たが、絶対嫌だと突っぱねられすごすごと退散した。熱気を帯びた地底特有の風が先ほどの少女との対峙を思わせ、どうにも落ち着かない。
 振り払うようにうろうろと歩き、結局甲板の後方へと足を向けた。

 今やファルコンはルカのもので、ここにはセシルもカインもローザもいなかった。何もかもあの頃と同じなどということはない。世界は確かに変わったし、己も変わった。例えば――

「エッジ」

 思案に暮れていたエッジの意識を、澄んだ鈴の音が引き上げた。

「リディア」
「ねえ、……また、戦わなくちゃいけないのかな」

 思ってはいたが、認めたくなかった。また蒼き星に何かが起こっている。エッジはつとめて明るく表情を作る。
 ふと思い付いたように左手を振った。
 ――例えば消えない傷、とか。

「そう、お前な、今回は俺のこっち。左側から離れるなよ」
「どうして? いつもはそんなこと言わないのに」

 リディアが可愛らしく頬を膨らませた。しかしその瞳は決して笑んではいない。エッジは深く息を吐いた。

「……いいから。頼む」
「分かってるわ。だから右側がいいの」

 リディアはこう見えて頑固だ。それを差し置いてもなお頑なな言葉に、エッジの体はぎくりと強張った。

「エッジと同じで、わたしにだってどうしても守りたいものがある。だからここに置いて。……絶対に譲らないわ」

 見透かされている。エッジが唇を歪めた。
 斜めに大きく傷の走った右目は、それ以来ほんの少し彼の死角を拡げていた。そんな右側にリディアを置きたくないのは確かにエッジの想いそのままだった。リディアも頑として譲らない。

「あなたは絶対にわたしが守るから。だから……」

 雫を湛えた一対の翡翠が見る間にぼやけていく。
 エッジは動けなかった。見透かされた悔しさと、暴かれた歓喜に折り合いがつかない。
 思い出すのは、いつだって出逢いの瞬間だ。死に急ぐエッジを止めたのは、あの時もこの濡れた瞳だった。

 頬へと雫がこぼれた頃、エッジはようやく引き結んだ口端をかすかに上げた。

「分かった。右は任せた。誰も死なせない。約束する」
「……良く言った! それでこそお館様!」

 顔を上げたリディアは一拍置いてから、濡れた瞳を弓なりに細めた。声に気丈を乗せてえへんと胸を張る。

「舐めないでね。わたしはあなたの、隣に立てる女なんだから!」
「全くだ。参りました」

 眦に残る涙の粒を指先で拾い上げながら、エッジは負けを認めた。
 奥へと仕舞われることも、守られる為の場所へ置かれることも厭うこの女は、確かに俺の隣に立って前を向ける、唯一の女なのだ。
 二人の顔が近づき、唇が触れ合おうかという頃、またしてもドワーフの姫君の怒号でファルコンは揺れた。

「あんったたちねえ! いつまでやってんの! 早く降りなさいよ!!」

 気付くと場所はバロン付近の森、城下の目の前。予想が当たっているならば、敵地の目の前だった。明らかに眉を吊り上げながら腰に手を当てたルカと、黙して目を伏せたまま腕を組んだ男の無言の圧力。
 エッジとリディアは慌ててファルコンを飛び降りた。

「すみませんでしたー!」

 頭を下げながらそっと二人は顔を見合わせて舌を出した。
 先に何が待っていても、この居場所は確かなものだろう。









五年後には薬指に



しんと冷えた冬の朝だった。
 リディアは身を縮こませ、何度か呻きながらも布団からどうにか這い出た。ああ、冬の朝のお布団ってなんて幸せなのかしら。温もりの残るシーツに、諦めきれずに足先が残る。びょんびょんと跳ねた前髪を直すより先に、いつだったかエッジが全員に配ってくれた半纏(ローザはちょっと野暮ったいなんて言ったけど、これがまたセシルは何故か着こなしてしまうのだ)に腕を伸ばした。

「んん……?」




「おはようローザ」
「おはようリディア。寒い、寒すぎるわ」
「ねえねえこれ、ローザのかな?」

 指先を震わせながら顔を洗うローザの元へ、リディアが小箱を持って現れた。ローザはふかふかのタオルに頬を埋めながら、首を傾いだ。

「たぶん私のではないけど、どこにあったの?」
「起きたら枕元に」
「ふうん……クリスマスプレゼントかしら」
「クリスマスはまだだよローザ。私まだサンタさんにお願いもしてないし……」

 可愛らしく首を傾げたリディアに一瞬気が遠くなりながらも、ローザは七つまでしかプレゼントをもらえなかったリディアが傷つかぬよう、慎重に慎重に言葉を選びながら説明した。

「し、知らなかった……子供しかプレゼントもらえないなんて……幻界には煙突ないからサンタさん来れないってアスラに言われたし……」

 意外と幻獣王妃は俗っぽい説明をしたようだ。よろよろと分かりやすくショックを受けたリディアに、ローザは慌てて大げさな手振りで追加した。

「だから、えーっと、大人になってからは友人とか恋人同士で送りあったりもするのよ! 私も今年はリディアにプレゼントあげたいなあ!」
「わあ、嬉しい! じゃあ交換しようね! それなら、本当にこれは誰のなんだろう」
「うん、で、分からないから開けちゃえばいいわよ」

 ローザはやたらと強気だが、もし自分宛てのプレゼントでなかった時ものすごく申し訳ないことになる。リディアは困ったように眉を下げた。

「本当にいいのかな」
「送り先書いてないんだから、仕方ないわ」

 うーん。まあ、そうかも。贈られた側が相手の不備を振りかざすのはいささか乱暴な気もするが。リディアはローザの言うことをほとんどの場合正しいと思っている節がある。実際ローザは、セシル絡みでなければ大体は正論で攻めるタイプだ。セシルが絡むと暴走するとも言える。あっさりと切り替えてリディアは指先をリボンに掛けた。
 ローザはリボンが解かれて行く様を見ながら、どうしてこう回りくどいのかしら? と朝早くに出掛けた騒がしい男を思い浮かべた。

「わあ」

 小箱に入っていたのは、コンパクト型の鏡だった。リディアの手のひらにぴったり納まる小さな銀色の鏡だ。表面にだけ、華美でない程度の花の模様が繊細に彫られている。リディアは目を輝かせて鏡をぱちぱちと開け閉めした。

「すごくかわいい」
「うん、かわいい。びっくりしちゃった」

 リディアが興奮気味に顔を上げると、ローザが身を乗り出して鏡を見ていた。ローザの目も年相応にきらめいている。女の子はほとんどみな可愛いものが好きである。

「……これやっぱりローザのだったかな」
「ううん、リディアのだわ」

 ええ、なんで分かるの。とリディアは鏡をしきりに見回した。開けて閉めて、ひっくり返して表と裏をじっくり見ても、リディアに宛てたものだという証拠はなかった。唸るリディアを見て、ローザは口端を上げた。

 だって私はこのくらいの鏡をもうずっと持っている。母にわがままを言って譲ってもらったもので、壊れるまで絶対に持ち続けるぞという気概と執念の入った鏡だ。そもそもリディアに鏡を贈ろうなんていうのはあの中には一人しかいない。たまにはやるじゃない。プレゼントの選択は、ローザのお眼鏡に適ったようだ。



 さっそく誰がこの鏡をくれたかリディアは探そうとした。まず出てくるのは旅を共にする仲間だ。セシルには違うよ、と言われた。あとはカインにエッジだが、珍しく揃って不在だ。その二人も違ったら、シルフに聞いてみよう。

 テントに戻ってからもリディアは鏡を離さず手元で遊ばせる。リディアは自分の鏡を持っていなかった。これまで洗面台の鏡があれば事足りたし、自分で買おうという発想はなかった。ローザが小さな鏡を持っているのは知っていて、一緒に覗かせてもらったこともある。白地にピンクの模様が入った鏡はローザに誂えたようにぴったりで、とても可愛らしく、きらきらとしていてリディアにはまだ早いかな、と思えたからだ。
 鏡を見てふと気になり、少し跳ねた前髪を直した。鏡が手元にあればこんなことだってちょちょいと出来るのだ。まるで大人の女性になったようで、リディアの気持ちが浮つく。今度ローザに頼んでお化粧してみようかな、とも思った。

「お、お前そんなに自分の顔が好きか……」

 突然後ろから話しかけられてリディアはびくりと肩を跳ねさせた。振り返るとテントの入り口をめくったエッジが、くつくつと笑いを噛み殺していた。全然隠せてないけど。

「び、びっくりした! 驚かさないでよ、エッジ!」
「やー悪い、ちょっと大人っぽいものもらったからって舞い上がっちゃってかわいーの。やっぱ子供だなあ」

 また子供扱い。馬鹿にされている。リディアはむくれてにたにたと笑うエッジの視線から隠すように鏡を握った。ちょっとくらい背伸びしたっていいじゃないか。女の子だ。戦いの日々だってちょっとくらい髪型を気にしたり、戦闘の後に顔の汚れを拭ったっていいじゃないか。エッジに馬鹿にされたのがことのほか悔しかった。もう絶対に見せまいと鏡を後ろ手に逃がす。
 いいもん。少なくとも鏡をくれた人は、リディアに使って欲しいと思って贈ってくれたのだろうから。

「……ん?」
「なに、怒った?」
「なんでこの鏡、もらったものって知ってるの」

 今度はエッジが肩を跳ねた。ガタンガタンと大げさに音を立てながら後ずさって一瞬で耳まで赤くなった顔を見たら、いくら鈍いリディアでも分かる。
 ここにローザがいたら、笑いが抑えきれなかったかどうか怪しい。

「あれ、これ、エッジがくれたの……?」
「あーーーっ! それね! そうだったような気がしなくもなくもないかもね! せいぜいローザの真似でもしとけよじゃあな!」
「えっちょっと待ってよ!」

 軽やかに身を翻してエッジはテントから走り去った。すぐさま追ったが逃走モードのエッジには、リディアの足ではとても追いつけない。すぐに見失った。息が切れたところでリディアが座り込んだ。握ったままの手を開いて鏡をもう一度見た。ぶわ、とリディアの顔にも血が上り、背中がむず痒い。外は寒いはずなのに、じんわり汗ばんでいる。
 口を開けばガキだのお子様だの言うあのエッジに、もう大人だと認めてもらったような気がしたのだ。もしくは、大人の一歩を踏み出せと背中を押されるような。恥ずかしさが通り過ぎると今度は嬉しさがやって来る。鏡で確認する気にはなれなかったが、今きっとふにゃふにゃした顔だろうと思った。


 昼食になりしぶしぶながら現れたエッジに、『ねえねえ、プレゼントのお返しなにがいい?』としれっとリディアは聞き、エッジは変な声をあげてまた逃走した。






いろは




「のろま、ドジ、おたんこなす。ボーッとしてるからそんなんなるんだよ」

 コテージの一室で、リディアはいつもの馬鹿っぽいそしりはしりを浴びていた。リディアは幾度か拳を振り上げかけてはぐっと堪え、手元に意識を戻す。

「チビ」
「チビは関係ないでしょ! ついでにおたんこなすも!」

 そのうち気が済んだのか悪たれ口の持ち主エッジは、黙ってリディアのつむじを見下ろした。エッジの左腕に覆い被さったリディアは、ぴしりと弛みなく巻きつけた包帯にちょうど留め具を付け終えたところだった。
 最初の頃よれよれだったリディアの処置も、今となっては大分上達していた。つまりはそれだけ一行に怪我が多いということなのだが。
 なんだかなあ、とエッジはぬるい息を吐いた。

「できた」
「さんきゅ」
「その……ごめんね」

 薄く血の滲んだ包帯を見つめて、リディアが頭を下げた。この顔が見たくないから、わざわざああやって子供っぽい真似をしているのに、結局はこうやって悲しませてしまうのだ。

「……いいから」
「でも」
「みんなで決めたことだろ」

 リディアは押し黙って頬を膨らませた。エッジの傷はリディアを庇って出来たものだ。
 戦闘中、混戦するとどうしても注意が散ってしまうから、担当を決めよう! とのたまったのは聖騎士だった。セシルはローザ、カインは飛ぶことが多いので全体を見て、じゃあエッジはリディアをよろしく、が決定した割り振りだ。

「あの体力馬鹿はいいけどよお」
「カインに変わってもらおうか?」
「それはダメ」

 リディアの担当を頑として譲らなかったのはエッジである。そもそも配置としては前述のとおり順当ではあったのだが、とにかくそれ以前にエッジは主張した。あの時のローザのええはいよーく分かりますとも、とでも言いたそうな笑顔は今思い出してもちょっとムカつく。

「……わたしがもっと素早かったらなあ」
「詠唱中は仕方ないって」
「うー……のろまって言ったり仕方ないって言ったり……」
「俺だって術を使うから少しは分かる。でも俺のが百倍早いからな」

 百倍とは随分な大口である。が、リディアは返さず上半身をベッドに投げ出してごろごろと身を捩った。
 こらこらこらこらはしたない。口元まで出掛かった言葉を飲み込む。伸ばせば触れる距離を突き放すのもまあ勿体無い。

 ぴょんぴょんと揺れる癖っ毛を眺めながらエッジは壁に背を預けた。唸りながら奇妙に回転する少女を見ているのがこんなに楽しいのだから、我ながら重症だ。

「そうだ!」

 がばりと起き上がったリディアは人差し指を天に向けた。その表情は、……あーまたこいつ変なこと考えてる。

「私もカインみたいな鎧を着て、」
「ダメ」

 二度目である。しかも強めのダメである。取り付く島もない。
 言い切る前に否定されてリディアはしょぼんと天に向けた人差し指を下ろした。何だろうと怪我はさせないのだと誓ってくれていることは知っていたので、大人しく言葉を飲み込む。

「じゃあ、もっと……」
「俺ももっと上手く捌くからさ、もう気にするな。今まで通りでいい。それがお前の戦い方だろ」
「……んー、うん……」

 納得しがたい様子ではありつつもリディアは頷いた。おそらく自分があれこれするよりもこれまで通りが良いのだろうことは分かっていた。それこそ自分以外は戦闘のプロなのだから。ただ自分のために人が傷ついていくことが嫌なのだ。それはある意味、リディアただ一人の我儘なのかもしれない。
 分かりやすく落ち込むリディアを見かね、エッジはわざとらしくにやりと笑った。

「じゃあちゅー」
「は?」
「ちゅー」
「二回も言わないでよ!」

 唇を指差したエッジの唐突な脈絡のない言葉に、リディアは顔を真っ赤にしながら立ち上がった。何故だかその仕草から目が離せない。リディアは頭を振った。

「ななななんなのよ急に!」
「してくれたらめっちゃ素早さ上がって避けれるかもしれない。あっ! 今ものすごくそんな気がする!」
「そんな訳ないでしょバカ!」

 そろそろ怒って忘れておくれ。分かりやすく言い換えるとこういうことだ。手先が器用な割につくづく不器用な男である。思惑通り、あっさり眉を釣り上げたリディアがエッジの首根っこをひっ掴んだ。

「うおっ」
「あんたなんかねー!」

 振り上げられた掌に、反射的にエッジは目を閉じた。しかし訪れるはずの衝撃はなく、代わりに頬に柔らかな感触が残された。ささやかな間のあと、リディアは踵を返す。部屋には間抜けに口を開けた男一人。
 あれ。今のって。

「……あれ?」
「べーっだ!」

 扉に手を掛けたリディアが、振り向きざまに舌を出した。耳まで赤く染まった顔はふるふると震えている。

「も、もう一回……」
「バカバカバカバカもう知らないっ!」

 手近にあった枕がエッジの顔面を直撃した。白い羽根がいくらか舞う。コテージ備えつけなのか、ローザ辺りが用意したのかは知らないが割と良い枕じゃん、と思う間にリディアの姿は消えた。
 バタン!荒々しく閉まった扉の向こうで、少女のものとは思えぬ重低音の足音が遠ざかって行く。……この後、もしローザの気配が扉の向こうに現れれば、おそらく俺の人生はここまでだ。冷えた汗が首筋を伝った。

「はーたまらん……」

 エッジはそのままよしよしと枕を抱きしめてベッドへと突っ伏した。
 ご褒美のキスなんかなくったってこれからもしっかり守ります。照れ屋で素直な彼の女神に誓って、左腕をそっと上げた。







恋文




「……さっきから、何書いてんの?」
「エッジは見ちゃだめっ! あっち向いてて!」

 先刻からひしと机に噛りついているリディアは、手元を隠すように慌てて身を被せた。
 軽く眉を上げて睨むその顔も、睨まれた当のエッジには可愛らしく映るので大した意味はない。何事か真剣なようだ。ちょっと待っててとも言われた。とはいえせっかくの逢瀬だ。恋人がひたすら机といちゃついているのはあまり面白くない。
 エッジは開け放たれた障子の向こうをじとりと眺めた。清々しい陽気に、揺れるあやめの花はこんなに美しいってのに。

「茶でも入れてくるかな」
「……」

 夢中なリディアは気付かない。あーあと小さく息を吐いて、エッジは部屋を後にした。







「あら若様」
「茶と……紅茶でいいか。あと茶菓子。ああ、淹れるのはやるから」

 勝手場で王子が棚を物色している。本来なら不自然な光景のはずだが、ここエブラーナではそうでもないらしい。片手に茶筒を手に取り片手に急須を揺らす様を見て、侍女が声を上げた。

「ああ! 若様急須は揺らさないでって言ってるじゃないですか!」
「あーそうだった、悪い悪い。待つの苦手なんだよなあ」

 急須を置いてエッジはじいっと茶葉の揺れる様を見つめた。こうやってわざわざ眺めているから長く感じるのだ。侍女がそうだ、と顎に手を当てた。

「そういえばリディア様からお手紙もらいました?」
「へ?」

 リディアなら俺の部屋にいますけど。いやそういうのじゃなくて。

「若様たちが戻ってきてすぐに、便箋が欲しいなあと仰られていたので、お渡ししたんですよ」
「確かにずっと何か書いてるけど、手紙だったのか? ……つーか手紙って。俺ここにいるんですけど」

 そこまで喋ってふと、じゃあ誰宛なんだよ。途端にそわそわと落ち着かなくなった。ああ、気になる。怒られるだろうけど、無理にでも見てやろうか。
 エッジの心中を知ってか知らずか、侍女はお教えしよう! とでも言わんばかりに人差し指を立てた。

「あのですね、今日は恋文の日、ってやつらしいですよ」
「……なんだそりゃ」

 唐突に放たれた浮かれ気味の言葉に、エッジは呆れたように目を細めた。負けじと侍女は続ける。

「語呂合わせですよ。私も知らなかったんですけどね。リディア様も先ほど街で耳にしたみたいです」
「……あ、なるほど」
「そう。もちろん若様宛てでしょう」
「不思議なやつだなあ」

 恋文ねえ。
 これまでも手紙のやりとりはあれど、いざ改めて恋心を文字に認めることなどなかった。いかん、顔が弛む。エッジは頬を軽く叩くと盆を持って身を翻した。
 ――そのお背中には、桃色の花びらが舞っているように見えました。と後に侍女は語る。
 塞がった手で器用に扉を開けたエッジがふと足を止めた。

「俺にも便箋くんない?」



 自室の襖を開けると、リディアは机とのデートを終えていた。手紙は書き終えたのだろう。エッジは盆を置いて、リディアの前に紅茶のカップを差し出した。

「ありがとうっ。あのねあのねエッジ」
「ストーップ」

 勢い余ったリディアの前に、エッジは手のひらをぴしりと出した。目を丸くしたリディアが律儀にも止まる。

「えっ?」
「……もうちょっと待ってて?」

 白い便箋をひらひらと見せたエッジは歯を見せて笑った。にわかにリディアの顔が赤く染まっていく。勢い付かなければ渡せたものではなかったのだろう。ペンを執ったエッジを見て、しっかり己が胸に抱いた封筒を見て、それから更に赤くなってこくこくと頷いた。









黄昏に飛び立つ



 ミストに戻ってまず違和感を覚えたのが、村人たちが纏う空気だった。村を挙げて大袈裟なほどに歓迎され、不在の間も手入れしてくれたのだろう、庭先までぴしりと整った生家がリディアを迎えた。
 あらゆる村の大人達が気遣ってくれ、生活が整うのはすぐだった。谷を崩し村を出た過去を考えれば良かったと言えるのだろうが、少し落ち着かない日々だった。


「あーっ、いたいたリディア!」
「エッジ!?」

 その日買い物帰りのリディアを迎えたのは、遠いエブラーナにいるはずのエッジだった。驚いて立ち尽くしたままのリディアにエッジは駆け寄り、少し屈んで視線を合わせるとにかりと笑った。

「おめーの一人暮らしが心配で見に来た。どう? 俺って優しいだろ」
「……ばかっ」

 ぷくりとむくれたリディアを見ても、エッジは嬉しそうに笑うだけだった。

 見せたいところがあるんだ、というリディアに連れられ、二人は緩やかな坂を上がる。途中すれ違った村人はにこやかに見送ってくれたが、どこか戸惑いの色が視線に滲む。気になってはみたものの、見掛けない顔を見たらこんなものだろうかと思い直しエッジはリディアの背を追った。

 小高い丘の天辺には大きな楓がぽつりと立っていて、リディアはその幹に背を預けるように座った。エッジもそれに倣う。
夕陽の、燃えるような紅が辺りを包んでいた。
 リディアは落ち行く陽を見つめたまま、そっと口元を緩める。

「綺麗でしょ。ここはずっと変わらないの」
「うん」
「来るって先に教えてくれたら、ちゃんとお迎えしたのに」
「いやー……そう、バロンに用があって、ついでに来たわけ」

 ついでってひどーい。リディアは呟いて膝を抱いた。もちろんついでに、は分かりやすい嘘だった。

「上手くやってるか?」

 リディアは答えず、足元の花を見つめた。陽が山肌に溶け込み、影が一層深くなる。冷えた風が髪を揺らして、リディアはゆっくりと口を開いた。

「……あのね、あの……。なんだか、大切にされ過ぎているような、気がするの。悪く言ってしまえば、なんだか遠い。わたしがどこかへ行くことを、みんな怖がってる」

 なるほど、とエッジは思った。血が濃いのだというリディアを留めておきたい小さな村。月の幻獣神とすら契約を交わした彼女は、この村ではあまりにも特別になってしまっている。

「まあ、俺だって国じゃヒーローだ、分からんでもない」
「……わたしなんて、ふつーもふつー、ありきたりの女の子だもん」

 ふいと視線を逸らしてリディアは俯いた。伸びた睫毛が頬に影を作る。零れたのは、リディアの願いだ。エッジは、伏せた顔を覗き込むように体を傾いだ。

「おおっ、そーだなあ。良く食べて良く泣いて良く笑って。びっくりするほどお手本みたいな普通のガキんちょさ、おめーは」

 リディアは弾かれるように顔を上げた。
しゃくしゃくと若葉色の髪を遠慮なくかき混ぜるエッジの言葉は、いつも通りの揶揄いを乗せていた。しかしその声色はどこまでも穏やかで、柔らかく細められた瞳がリディアを絡め取った。

「知ってるよ、お前が普通の女の子だって」
「……っ」

 リディアは堪える間も無く、緩んだ涙腺から雫を滴らせた。引き結ぼうとした唇は震えて思うように動かせない。
 きっと、ここに来てからずっと欲しかった言葉だった。
 目の前の胸に飛び込むと、エッジは頭を一つ撫でてからそっと背中に手を回し、リディアが泣き止むまであやすようにとんとんと叩き続けた。



「じゃあ、気をつけてね」
「おう」

 エッジの滞在できる時間はリディアが思うよりもうんと短かった。村の入り口までリディアは見送りに来て、最後に照れたように組んだ指を忙しなく動かした。

「わたし、ちゃんと頑張ってみるよ。……今日、すごく嬉しかった。エッジも頑張ってね」
「それなら良かった。……また来てもいいか?」
「秋には収穫祭があるよ」
「じゃあまた、その頃に」

 穏やかに笑うリディアはエッジの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。その背が見えなくなって、浮き上がった飛空艇の機影が点となり、空に溶けるまで、ただひたすらに見送る。
 胸を満たすのはただ暖かな想いだった。






雨上がり


「はーやーくー」
「いや、ちょっと待てって、重い!」

 リディアを連れて訪れたのは、懐かしいトロイアの街。青き星一周、なんて豪勢な新婚旅行の最中だ。
 この地には特に所縁のある人物はいなかったが、それゆえ息抜きには都合が良く、旅の途中にも良く寄ったものだった。

 のんびりと長閑な町並みを眺めながら歩く。そのうちぽつり、リディアのふわふわの頭の頂点で、雫が弾けた。

「きゃ」
「うっそお。降ってきた! 走れ走れ!」

 見上げると空は青い。狐の嫁入りだ。リディアが宿屋の扉を押し開けて振り向き、荷物を目一杯に抱えたエッジが、よたよたと扉をくぐった。
 何故旅行というものは日を追うごとに荷物が増えるのだろう。

「おや、懐かしい顔だね」
「覚えてて下さったんですか!」

 受付に立つ恰幅の良い男性は、エッジとリディアの顔を見て表情を崩した。

「もちろん。贔屓にしてもらってたからね。あの後やっと君たちの正体が分かって、家内が大騒ぎだったさ」

 それは、セシル達一行が青き星を救ったことを言っているのだろう。むずむずとくすぐったくなったリディアは、照れたように首を傾いだ。

「他のみなさんはいないのかい」
「新婚旅行さ」

 そりゃまあ、上手くやったな! 主人はまた大きな口を開け笑って、リディアに部屋の鍵を渡した。
 荷物を載せたカートをガラガラとリディアが押す。エッジが押し付けた訳ではない。リディアがやりたがったことを念のため記しておく。部屋に荷物を置いて、二人は一旦腰を下ろした。

「自然が多くていいところだけど、飛空挺だと逆にすんなり来れねえなあ」
「そうだね。ごめん、いっぱい持たせちゃって」

 いいけどよ、小手を放り投げてエッジはベッドへ飛び込んだ。そんなエッジを見やってから、リディアは窓際に体を寄せた。

「止むかなあ」
「止まない雨はないってね」

 どこかで聞いたような台詞を吐くエッジは、大して気に留めていないようだった。
あのパン屋さんや、靴屋さん。行きたいところがあったのに。リディアは嘆息して、もう一度ガラス越しに空を見上げる。

「……あ、そうだ!」
「ん」

 喜色の滲んだリディアの声に、エッジがつと顔を向けた。

「前トロイアに来た時も、雨が降ったことがあったでしょ」
「……ん? ああ、あったけど」

 雨に降られたリディアに傘を持って行ってやった時のことを言っているのだろうか。片恋の気恥ずかしい思い出を掘り返され、エッジは眉を顰めた。
 窓を舐め落ちていく雨粒を眺めながら、リディアは笑った。

「あの時わたしはどうしようもなく寂しくて。そんなわたしの手を取ってくれたのは、やっぱりエッジだった」

 リディアはくるりと向き直ると、エッジの手を取った。

「わたしあのとき、エッジを太陽みたいなひとだとおもったんだ。……だから今度は、わたしが傘を差してあげる! 行こ、エッジ!」

 にかりと笑うリディアを見て、エッジはぱちぱちと目をしばたたかせた。リディアが掴んだ手をぐっと引く。

 どっちが太陽なんだか。

 エッジは隠しもせずに吹き出して、ぷくりと頬を膨らませるリディアへと傘を手渡した。
 二人でいれば、雨だって悪くない。





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